北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
503/1232

生活保護費の支給については、救農土木事業他の就労機会を活用するとともに、生活保護費を従来の債務の償還に当てることのないよう、注意喚起を行っている。それだけ、冷害が農家経済に大きな影響を与えることがうかがえる。冷害がもたらした困窮化に対し、海外移民によってこれを乗り越えようとする動きもあった。資料6は、農林省が冷害等の被災農家の移民計画を検討しているとの報道記事である。北海道をテストケースにしようと考えていることが示されている。現場の農村では海外移民映画が上映されたり、一九六四年設立の北海道海外協会により道の支庁長に対して海外移民の募集が行われたりして、農民の移民熱が高まっているとの報道もなされている。年までに六七六戸の一般農・開拓農を含む一、〇〇三戸が海外へ移住していることになる。その中には、一二四戸の鉱業従事者も含まれており、冷害だけではなく炭鉱閉山による海外移住者もいたことが分かる。高度経済成長期の自然災害としては、一九六二(昭和三七)年の十勝岳噴火、六八年の十勝沖地震を取り上げた。資料7は、その結果、実際に海外へ移民した人々の数をまとめたものである。これを見ると、一九五三年から七〇資料8は、一九六二年の十勝岳噴火の記録の一部である。新得町とりわけ同町トムラウシ地区の被害が大きく、自冷害による移民への衝動戦後海外移住状況一九六二年十勝岳噴火第三節 高度経済成長期の自然災害487解 説(1)     (4) (3) 

元のページ  ../index.html#503

このブックを見る