北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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1 十勝沖地震の記録にあたつて序 昭和二七年三月四日午前一〇時二三分一六秒突如として、襟裳岬南方七〇粁の海底をゆすぶつて発生した強烈な十勝沖地震は、十勝・釧路・日高を中心として全道に激しい衝撃を与え、一瞬にして罹災家屋三万余戸、罹災者数約一六万名、総額一五〇数億円に達する甚大な被害を与えた。管内においても三千余戸の罹災戸数、二万名に及ぶ罹災者と、五九億円に上る莫大な損害を蒙り一大悲惨事を一九五二年十勝沖地震北海道十勝支庁『十勝沖地震の記録』一九五四年もたらした。開道以来かつて経験しないこの大災害、春浅い三月いまだ凍りつく寒さにふるえながら罹災民の受けた思いもよらぬ大きな傷手は、けだし想像に絶するものがあり、漸く訪れかけた北方の遅い春を暗澹たる色にぬりこめた。幸いにして各町村当局を始め関係機関の昼夜兼行の緊急対策により、災害を最少限度に喰い止めえた機転と良識に対しては、限りない敬意を表する次第である。一方、罹災者においても、この未曽有の大試煉に、未開の荒野に挑んだ逞しい開拓者精神を振起して、苦難の渦中から復興へと雄々しく立上り、沈着適切な措置と力強い努力が続けられ、めざましい復興をみたことは深く感銘しているところである。また震災に伴なう幾多の哀話と美談が次々と伝えられ、尊くも美しい行為の数々は、この稀有の災害を最少限度に止めえた。田中北海道知事はただちに翌五日朝、米軍好意の輪送    文   機によつて視察し、罹災者を激励するとともに、道議会第一節 占領下・復興期の自然災害490第1部 社会・文化 第7章 自然災害と防災(1) 

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