北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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〇〇〇m以上の気流に乗って連日連夜十勝岳の東方及び西南西の地域に扇形に飛散し、またその反対側の美瑛町方面にも及んだ。特に被害の甚だしかったのは、十勝岳の東南麓で、十勝岳より半径二〇Km以内の地点にある新得町字トムラウシ地域であった。六月三〇日、新得町より連絡をうけた新得保健所からの報告により、衛生部ではただちに現地調査のために係員(道立衛生研究所員、衛生部員)を派遣するとともに、部内では医務課を連絡の窓口とし、これに各課協力の体制をととのえ、地元保健所の活動に則)応することとした。新得町以外から報告のあったものは、鹿追町、上士幌町、陸別町及び十勝岳の西側に位置する富良野町、美瑛町の山麓地区等であったが、これらはいずれも人体に対する影響の面では軽度のものと判断し、主として新得町トムラウシ地区を中心としての調査並びに災害対策に重点をおいた。以下、新得、帯広、富良野、旭川及び本別の各保健所(ママ管内における災害時の概況について述べる。1.新得町トムラウシ地区二〇Kmに及ぶ帯状の開拓部落で、十勝岳よりわずか一五~二四Kmの地点にあったため、殆んどが火山灰を被り、大気中に浮遊する亜硫酸ガスは、当初四七PPm前後を検出(労働衛生上からみた場合の人体許容量は一〇PPm以下)し、六月三〇日から七月一日にかけて地域住民(八三世帯一、〇〇五人)の中から頭痛、吐気、眼及び咽喉の刺激痛、全身倦怠等を訴える者、亜硫酸ガス並びに硫化水素ガス等による急性中毒症状の患者が続出した。被害者の約九〇%は、上トムラウシ、中卜ムラウシ、下トムラウシ、ニペソツ地区住民並びに造材等の林業従事者であった。新得町トムラウシ部落は、十勝川に沿って南北実に505第3節 高度経済成長期の自然災害     

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