北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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三三名、家屋全壊二五棟、半壊八一棟をはじめ、耕地・道路・鉄道・通信施設、その他多方面にかなりの被害を生じた。被害の発生した地域は広範囲にわたつたが、震央が襟裳岬南々東約一五〇Kmの地点であつたにもかかわらず、被害の程度は日高・胆振・十勝・渡島・石狩・空知の各支庁または青森県など震央の北西ないし西側において比較的大きかつたことは今回の地震の特徴であろう。地震に伴つて津波が発生し、地震後一〇数分ないし約一時間で北海道の太平洋沿岸・津軽海峡沿岸に来襲した。道内で津波のもつとも大きかつたのは襟裳岬周辺で、浦河では最高約二八五センチメートル、浜大樹でも最高約二二五センチメートルの津波が観測された。津波としてはかなり大きいものであつた    が、最も大きい津波が来襲した時間は、幸い干潮時のところが多かつたため、これによる被害は比較的軽微であつた。今回の地震は、規模約七・八でかなり大きいもの4 〈中略〉であつたが、震源地が比較的陸地から離れていたこと、火災の発生が極めて少なかつたこと、この地域に起る地震では震害よりも大津波により大被害を伴なう例があるが、今回の地震では特別大きな津波は発生しなかつたこと、また津波の大きかつた時間が全般的に干潮時であつたことなどのため、被害を最小限度にとどめることができたのは不幸中の幸いであつた。なお気象庁はこの地震を「一九六八年十勝沖地震」と命名した。被害状況渡島支庁管内(函館方面):函館海洋気象台函館市では管内他町村に較ベて被害が大きかつたが、家屋の被害は地盤の軟弱な海岸よりの地域、特に埋立地に集中していた。すなわち被害の大きかつたのは、若松町の朝市付近と国鉄埠頭、港町の有川桟橋付近海岸町の中央埠頭付近などである。第3節 高度経済成長期の自然災害(1) 509

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