北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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本村は風向きに幸いされ、被害はなかった。午前十時ころ、洞爺湖温泉からの避難者約三百名、総合センターおよび洞小体育館に収容する。午後三時すぎ、全員観光汽船などで引きあげたが、夕方になって約二十名ほどが総合センターに再避難した。…八日…午前中小康状態。午後一時三十分、二時十五分、三時三十分、同五十五分と七日を上回る大噴火。風向きは前日と逆の南東の風だったため本村を直撃、旭浦、成香を始めとし、その他の地区も午後四時四十五分から五時半までの間、小雨まじりの粒のあらい砂状の火山灰が降る。村では午後四時、「有珠山噴火災害対策本部」を設置する。午後六時、全戸一時停電、その後断続的な停電繰返す。この日、総合センターには温泉地区の住民や観光バスの乗客など百四十五名収容、炊き出し開始する。…九日…八日夜から九日朝にかけ(午後十一時四十五分、午前四時二十四分、六時半)三回の爆発、火柱をみせていたが、午前十一時四十分新たな火口からこれまで最大の噴火を起こす。本村では八日夜半から朝にかけて九十ミリをこえる大雨がふったため、火山灰がセメント状態となり農作物が大損害を受ける。また、立木の被害も大きく、湖畔の樹木は旭浦を中心にかなり倒れ、道路も降灰量十センチをこえるなど、噴火始まって以来の惨事となる。午前〇時二十分全村停電、通電は下台地区が午後二時すぎ、高台地区は翌日の午後までストップする。この影響で、水道も手動式ポンプに切り替え給水を続けたものの需要量に追いつかず、給水停止となる。このため、自衛隊の給水車により隣村の留寿都村より飲料水を運び、成香、香川および下台地区の五百世帯、二千五百人に初の給水行なう。温泉地区では避難命令出たため総合センターにも八十514第1部 社会・文化 第7章 自然災害と防災             

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