うれしかった。うれしかったというより、牛たちがよくがんばってくれたと思った。これはあとから聞いた話だが、父が網を切る時、「お前たち生きのびれよ。」と言ったという。きっと牛たちにこの父の言った言葉が、通じたのだろう。とにかくその時は十八の命を救ったという満足感で一杯だった。それから牛たちを新しい家の表げんかんと裏げんかんのポーチにつなぎ、小牛五頭は、裏げんかんの中に入れた。これで安心してはいられない。水はいっそう増え続け、とうとう高いげんかんの中まで入ってきた。父は、「このままでは牛の腹が冷えるから、家の中に入れる。」と言い岀したのだ。牛を家の中に入れるとどうなるかぐらいだれでもわかるだろう。しかし、「命あるものを守るのが第一だ。」と父はいう。その通りだと思う。父が茶の間の壁に長いクギを打ちはじめた。僕はなんとか水の増えるのが止まってくれないかとじっと水を見つめた。なにも言わず、真剣に水の動きを目で追った。数分後、どうやら水の増えはおさまったようである。〔(止まっ〕編者注)たよ。止まったよ。」と大きな声で父に言った。完全に水は止まったのである。今度は、わずかながらも滅ってきている。水との戦いは終ったのだ。「これで家の中に牛を入れなくてすむ。」と思い、僕は大きなためいきをついた。いや、今までの恐ろしさで、緊張していたのがほぐれたのかもしれない。こうして八月五日という恐ろしかった日は終り、次の 朝、水は完全に減っていた。僕はすぐ牛たちにえさをやりにいったが、一日中たったままで、疲れきっている牛たちの顔が、なんだかとてもかわいく見えた。僕はなにかえた満足感でいっぱいであった。そうだ、僕はすばらしいことを知り、教えられた。それは父、母、祖父の命を大切にする心、「動物も同じなんだ。」と、つくづく思い知らされた気がする。そして、もう二度と、このようなことになってほしくない。毎日安心して暮らせるようになりたい、と願ったのだ。あの大洪水の中で。(北海道立図書館所蔵)519第4節 高度経済成長期後の自然災害
元のページ ../index.html#535