北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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たが、その火が民家に移ってからは大丈夫どころでなく、大火災になってしまった。高台にいても赤い火が見え、すぐそこまできているような感じがした。何分かして火の手が広がり、目の前にあった電線から火花が散り始めた。心臓の音が速くなり、十分もしないうちに、周りにガスが広まって白く霧の濃くなった状態にまでなった。ジャージの袖を口に当ててもガスの臭いがきつかった。その頃、町では花火の十倍以上の音でプロパンガスが何回も何回も爆発していた。だいぶガスの臭いが消えたと思ったら、今度はアンモニアの匂いがきつくなってきたので老人ホームの方へ避難した。それからずっと車に乗ってラジオを聞いていた。友達や親戚、先生達のことまで心配になってきた。ホテル洋々荘やレス卜ラン森川が土砂崩れで崩壊したと聞いた時は信じられなかった。一時頃、町の様子を見に行ったが、見るかぎり全部が津波と火事の被害でこれは夢か現実かと考えたくなるほどすさまじく、青苗は終わりかと思った。そこには約十人の人がいたが、みな茫然とただ燃えさかる青苗の町を見ていた。二時頃からへリコプターが何機も青苗に来た。夜が明けてもまだ燃えていた。この夜は寝ることもできなく一日中起きていた。この夜がとても長く感じた。火の手はどんどん広がっていたが、祖父の家は道路を挟んだ一歩手前で火が止まったので運良く燃えはしなかった。谷地にある自分の家は、車庫に波が入り、家に何ヵ所かひびが入って、物が壊れただけでそんな大きな被害はなかった。突然の大地震で津波と土砂崩れで二百人以上の死者を出し壊滅的な被害を受けたが、町も復興に向けて頑張っている。全国からのたくさんの救援物資、義援金はとてもありがたく思った。まだ余震がたびたびきているが、これから町の人々全員が力を合わせて頑張っていかなければならないだろう。(北海道立図書館所蔵)524第1部 社会・文化 第7章 自然災害と防災

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