北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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日本は、終戦の年から連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の下で明治以降の政教関係を大幅に見直すことを迫られた。一口で言えば、国体と天皇制を崇敬する国家神道という国教と宗教団体を行政的に管理する法令を廃し、政教分離を定めたうえで諸宗教に平等な地位と信教の自由を保障したのである。具体的には、GHQは一九四五(昭和二〇)年一〇月四日、治安維持法と宗教団体法の廃止を命じ、宗教法人令によって宗教法人の設立・解散を自由に行えるよう措置し、同年一二月一五日には「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」の覚書を発出した。宗教法人令は一九五一年四月三日に現在の宗教法人法に代えられた。こうして神道と神社界は政府の庇護と管理を離れ、仏教の諸宗とキリスト教の諸教派は政府に命じられた宗派合同の軛から離れて再編され、教派神道や類似宗教と区分され統制された新宗教も自由な活動が可能になった。日本の宗教界は新時代を迎えたのである。北海道特に札幌市ではキリスト教信者の人口が多いという印象がある。しかし、資料1在籍会員の人口を北海道と全国で比べてみるとどちらもほぼ〇・一四%であり、現住会員の場合は〇・〇八%である。日本人の一%程度がキリスト教徒という信者人口からして北海道には開拓伝道の余地があった。受洗者数や礼拝出席数をみると北海道がわずかながら全国平均を上回っており、献金による教会の歳入も多い。敗戦直後から一〇年余り、精神的支柱を失った少なからぬ日本人が教会に集まり、最も復興した時代だと回想される片鱗をうかがわせる。解  説   第一節 戦争の爪痕と復興への模索531解 説

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