(総額四百万円)することを決めた報告である。日本のインド哲学・仏教学研究は世界水準にあるが、日本の仏教界は子弟の教育や仏教の普及も期待しながらアカデミズムを支えたのである。昭和二〇年代において伝統仏教や天理教、金光教他、諸教団は、宗教的理念による社会建設を議会政治に反映させるべく、自教団の代表を国政選挙で支援した。日本国憲法で政教分離や信教の自由が保障されたとはいえ、戦前の宗教団体に対する管理・統制・抑圧の記憶が生々しく残っている時代だった。しかしながら、大教団であってもせいぜい二、三名の代議士を送り込む程度では議会内で会派も形成できず、政治勢力になり得ないために昭和三〇年代には、創価学会―公明党を除いて、ほとんどの教団が既存政党において自教団の宗教理念に賛同する政治家を支援・後援するやり方に転換したのである。資料3では、昭和二〇年代において浄土真宗の大谷派がどの県にどれだけ教勢を維持しているかを知ることができる。北海道は、東西の本願寺である真宗大谷派と浄土真宗本願寺派が競って開教し、内地からの移住者に併せて寺の次三男であった寺族たちが新寺建立を夢見て来道し、現在各数百ヵ寺を形成する大宗派となっている。様子を伝える。両派には戦前から今日まで刑務所内で服役者に対する教誨活動を長らく行ってきた歴史がある。連合国軍によって裁かれたB、C級戦犯には上司の指令を実行しただけの者もおり、留守家族の困窮家庭を救うためにも減刑を要望した。な形で命脈を保ったかを示す貴重な資料である。戦前に最大の教団規模を誇った天理教は、内地や道内の大教会が多数の分教会を樺太に設立した。しかし、樺太に移住した日本人は、一九四五年八月一一日に始まるソ連の侵攻と共に資料2は、真宗大谷派が他宗派と共同で北海道大学に「仏教講座」を寄付講座として設置するべく百万円を負担資料4は、真宗大谷派(東本願寺)と真宗本願寺派(西本願寺)が合同で戦争受刑者釈放嘆願の署名活動を行った資料5は、戦前に日本の植民地支配に協力する形で大陸伝道や教勢拡大の教線を延ばした諸教団が、戦後どのよう532第1部 社会・文化 第8章 宗教
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