中の牧師たちの談話と総括の報告を読めば、当時の農村伝道の厳しさがうかがえる。開拓教会の設立を積極的に進めた。その成果は受洗者数が最初の五年間の大幅増加として現れ、その後の数年間は年間六〇名前後の受洗者を維持していた。しかし、誰も知り合いがいない地域を割り当てられ、各教会二、三名の受洗者を出すくらいでは、数年後も十数名の信者を確保できれば良い方だった。初年度の牧師の謝儀は一〇〇%だが、年間二〇%ずつ削減され、六年目から完全自立を促されるプログラムでは、教会員の献金だけで牧師の生活費を面倒みる完全自立の教会はほとんど設立できなかった。過酷な開拓伝道で挫折した牧師が少なくないとされるが、新宗教含めて宗教人口が急激に拡大した宗教復興の時代にあってキリスト教会はかけに出たともいえる。宣教に人生をかける若者たちの熱い時代だった。内のエネルギーが石炭から石油へという産業構造の転換が始まっており、道央部の炭鉱町は人口の漸減が進んだ。地方の人口減は農漁村・炭鉱地域で始まっており、国や道の過疎対策・地域振興計画によってもこの変化を変えることはできなかった。他方で、都市部、特に札幌には人口流入が著しく、門徒の移動について連絡をもらえれば都市部でも聞法の機会を提供できるのだがと、北海道教区における寺院間の連携や教務所のイニシアチブを期待している。今から約五〇年前に記録された離郷門徒の把握とフォローアップに関する提言は現在でも課題のままである。戦後北海道における諸宗教は、地域の人口減と札幌の一極集中的な過密化に影響を受けてきた。神社や寺院は、流出する若者に続いて転出するわけにはいかない。残る高齢者の見守り役として境内や墓地と共に跡継ぎがいなくなる資料7③、プロテスタント教会を代表する日本基督教団は、北海道を福音のフロンティアと考えて若手牧師による資料8と資料9は、真宗大谷派寺院の都市部寺院と農村部寺院の悩みが記載されている。一九六〇年代後半には国第三節 人口減少社会・個人化社会のさきどり534第1部 社会・文化 第8章 宗教
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