戦犯白書東西両本願寺では一月下旬来、全宗門の総力を挙げて、戦争受刑者釈放歓)願の署名運動を展開し多大の成果を治めた。このことは既に周知の事であり、当教区も地理的不利を克服して、相当程度まで世人の認識を深め、署名者数を募ることができた事は、喜ばしいことである。戦争受刑者の実態については婁々新聞誌上等で報ぜられている処であるが、この機会に今一度之が認識を深めたいものである。特に巣鴨の場合はこうである。現在(昭和二十七年十一月)巣鴨在所の戦争受刑者は八一九名、内A級は僅かに十二名で他は全部BC級である。刑期は殆んどが無期又は十五年以上の長期刑期で、米国関係者の中には、三十年四十年甚しきは七十年という超長期者が居る。勿論旧軍人、特に陸軍々人が圧倒的に多いが、軍人でない文官軍属その他の民間人も相当数あり、軍人の中でも軍の首脳部を占める将官級は極めて尠く、下士官及び尉官級の下級将校が圧倒的に多い。又軍人といつても応召者が相当に多く、世上動もすれ(歎カ巣鴨の同朋は訴うば、戦争受刑者といえば、軍国主義者又は軍閥の巨頭のように誤解されている向きが多いが、巣鴨在所者の実態は決してそんなものではなく、むしろ平時にあつては平凡な一市民である。又軍人としてもむしろ下級者に属する者が多いのであつて、年令も大体三十才から四十才のものが多数を占めており戦時中、国家の至上命令に従つて、只管に戦勝を冀いつゝ第一線に立つて、その職務を遂行し、敗戦の結果が図らずも戦争受刑者の悲運を招来したものが多い。彼等は戦時中は外地にあつて戦争に出ており、終戦と同時に戦争受刑者として逮捕拘禁せられ、裁判を受けた者が大多数であるから、すでに現在迄で家庭をはなれていること平均十年近くになつており、十五年から二十余年に及ぶ者もいる。戦時中は未だ留守家族は国家の温い庇護を受けて只別離の悲しみのみであつたが終戦後は一家の支柱を奪われた儘怒涛の如き社会的経済的混乱の真只中に放擲せられて一顧だに与えられなかつたのみならず忌わしい戦犯者の家族として一般国民以上に深刻な精540第1部 社会・文化 第8章 宗教 ――
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