5 樺太からの引揚げ教会(天理教)〔天理教樺太布教論松阪道雄〕神的苦悩を背負わされて来ており、留守家族の困窮は七三一名(調査人員)中、七一九名にのぼり、揚句の果、一家離散のやむなきに至つたものが三十五名である。又、戦争受刑者となつたが為に、本人が離婚又は婚約解消の憂き目を見た者も相当に多く、家族で戦犯者の名のもとに、就職を拒否せられ、或いは結婚をいやがられ、社会的迫害を受けた事例多く、甚だしきは自殺を計り発狂した例も相当ある。戦犯裁判は正義と人道の名に於て今回始()めて行われたものである。しかもそれは勝者が敗者を裁くという一方的な裁判として行われた。戦犯裁判が現代文明諸国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視して犯罪を事後に於て規定したものであつて、印度のパール判事も指摘したように、戦犯裁判は法、正義がこれを裁いたのではなくして、勝者の権力がこれを裁いたものであり、かつ連合国側の行為は一切不問に付せられたということは、それだけをもつてしても戦犯裁判なるものゝ本質を物語つて余りあるものがあるのである。 初 彼等受刑者は前述したように無期及び三十年以上にも及ぶ超長期刑者が四〇〇名近くもおり、これらは殆んど現状の儘では仮出所の恩典に浴するためには釈放の大幅の減刑に俣)つより外に方法がないのである。(俟カ(真宗大谷派北海道教務所所蔵)天理教校専修科文化部『求道』三六号一九七八年541第1節 戦争の爪痕と復興への模索
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