9 閉山と寺院(ママ産炭地の寺院かつては、石炭のことを〝黒いダイヤ〟とも呼ばれ、もて早)され、掘れば掘る程、儲かって炭鉱産業が全盛を極めた時があった。そんな輝かしい歴史を持った石炭も、時の流れの前に重大な転機に立たされている。新しい石油、ガス、電気等のエネルギー要素の出現に依り次第にそのダイヤの輝きを失い色あせた存在になり変りつつある。そして今日では石炭は斜陽産業の見本の如く有難くないニックネームまで付けられて、掘っても掘っても赤字から解消されず、事故に悩み過去の栄光の遺物に重荷を背負って、悲しく苦悩する炭鉱の姿を社会に浮き掘りにしている。その斜陽化石産業を根本から建て直すための再建策を待っ真宗大谷派北海道教務所『北海真宗』二二巻一二号一九六八年一二月沼田 ているというきびしい現状の中に置かれている。冬季間の長く寒さの厳しい北国に住む私達にとって、赤々と燃える石炭ストーブの火は小さい時から、それに依って暖を取り、親しまれ育てられて来た欠すことが出来ない灯であった。それが社会機構、生活様式の変革に依って次長沢 武 第に無汰を省き便利で使いやすい実用的なものを求める傾向となって現われ、その使い道その他に無汰が多く合理的でない石炭は敬遠されるものになり、その果たす役割から追われ、取り除かれてゆく始末である。さびれ衰微してゆく姿はそのまま石炭にたよって経済を支えてきた産炭地住民の生活にも直接影響されることである。倒産、閉山という現実の前には、成すべき方法もなく、ただ自発的に炭鉱から見切りをつけて、他都市へと新しい職場を求めて去ってゆくことは又そのまま産炭地の崩壊現象につながってゆく深刻な問題である。寺院にとっても離山ムードは檀家の減少即寺院生活に圧迫をきたし経済そのものを根底からくつがえされる事になる。現に産炭地にある寺院は共通な悩みをいだいているのではない561第2節 経済成長期の教線拡大と葛藤
元のページ ../index.html#577