北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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かと思われる。私のところも閉山問題に直面している現状にある。地元で寺院の経済維持を図れぬ以上は、寺を出て他で生かす方法を考えていかねばならないと思っている。しかし、よくよく考えてみるに、今日のようなこんとん極まりない時代背景の中で寺院が今迄の習わしを重んじ、それを受け継いでいる檀家関係という古い殻の中から一歩も出ず、私物化の如く錯誤し貪ってきたことが、弱体化の因となって現われて来ていると言えば無責任すぎるだろうか。檀家さえ守っておればという意識自体が甘く怠慢のそしりを免がれぬことである。とても守れるものではない時機に来ているということを、たまたま炭鉱閉山という現実の問題にぶつかって、はじめて知らされ教えられたことである。古いものは捨て去られ置いてゆかれる。自然のなりゆきなのだろう。又そこから新しいもの、自由なものが生み出されてゆく、時の流れは、とどまるものには情容赦なく変えてゆく。形はあっても無きが同然、きびしい試練を与えてくれているのだと受け取りたい。こうした有異転変する現代の中に身を置く私達に幸いにも等しく法を聞く場を与えられている。変わりゆく中にあって、変わらぬ念仏の法灯こそ、自らの内にともしておかねばならないと思うことである。(真宗大谷派北海道教務所所蔵)562第1部 社会・文化 第8章 宗教  

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