資料1は、GHQ文書に含まれていた一九五〇年の札幌の花まつりの記録である。GHQ文書の「Entertainment」資料2は、まつりに対するGHQの別の視線が分かる資料で、一九五〇年に帯広で開催された第四回全国レクリエ北海道三大祭りとして知られる、姥神大神宮渡御祭(江差町)、金刀比羅神社例大祭(根室市)、北海道神宮例祭(札幌市)を始めとした神社のまつりや仏教の花まつりなどは戦前からの伝統がある。その伝統は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下においても維持された。GHQは、一九四五(昭和二〇)年一二月一五日の覚書、いわゆる神道指令によって国家神道の解体を指令した。一方で、同年一〇月四日、GHQのいわゆる人権指令によって信教の自由が保障されていた。そのため、神社のまつりや仏教の花まつりは、戦後まもなく復活した。北海道神宮の札幌まつり(例祭)の場合、戦時中の一九四四・四五年に中止されたものの、四六年には再開されている。進駐軍の軍人や家族も札幌まつりを楽しんだようである。のフォルダーに収められていたもので、まつりを宗教行事としてだけでなく娯楽としても認識していたと考えられる。札幌の花まつりは、以前は仏教各宗寺院の日曜学校、さらに札幌仏教連合会が主催していたが、市内をパレードする華やかな稚児行列が人気を集めたこともあり、一九四九年から札幌花まつり奉賛会が組織され、その主催のもと各種の行事も加えて盛大化した。資料で描かれているのは盛大化した二年目の様子である。ーション大会に関する新聞記事である。GHQの教育・宗教・文化財関連の施策を担当する民間情報教育局(CIE)は、学校教育や社会教育を通してフォークダンスやレクリエーションの普及を進めていた。この大会はその一環解 第一節 占領下・復興期のまつり569 説 解 説
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