北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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として開催されたものである。GHQやその部門であるCIEから見ると、戦前から続いている盆踊りは卑わいなもので、健全な踊りにする必要があると考えていたことが分かる。一方で、既にこの時期、観光を目的としたまつりも現れている。戦前から北海道では共進会、博覧会、スキー大会等の行事やイベントを利用した観光的取組が存在し、港まつりなど宗教とは無関係のまつりもあった。しかし、まつりと観光を結びつける発想は弱かった。それを転換させる一つのきっかけになったと思われるのが、資料3に見られる観光温泉祭りである。た新聞記事である。同国立公園指定地域内にある代表的な温泉が、祭りと称したイベントを開催することによって観光客を誘致しようとしたのである。観光地でのまつり・イベントの開催は次第に拡大し、継続していくことになる。ちなみに、翌年から、北海道で最初に国立公園として指定されていた阿寒国立公園(現・阿寒摩周国立公園)でも、まりも祭りが開催されている。同時期の一九五〇年、これとは別に、後に北海道を代表することになる冬のまつりが開かれた。資料4の新聞記事で、その第一回の様子が報じられているさっぽろ雪まつりである。北海道の冬季資源を活かしたまつりとして、国際的なイベントに発展していくことになる。様々なプログラムの中に、CIEのW・P・ニブロが普及に貢献したスクエアダンス(フォークダンスの一種)が盛り込まれており、GHQのレクリエーション浸透戦略の影響が垣間見える。道内各地で行われる冬まつりであるが、資料5のように、戦後初の冬まつりは旭川で行われた北海冬まつりで、これが現在の旭川冬まつりにつながっているとの説もある。第一回の北海冬まつりでは、アイヌの熊送りの儀式、イオマンテも行われている。さっぽろ雪まつりの成功を受け、札幌では夏のまつりも開催されることになった。資料6はさっぽろ夏まつりの開資料3は、一九四九年の支笏洞爺国立公園の誕生を記念して、観光を目的とした温泉祭りが開催されることを報じ570    第1部 社会・文化 第9章 まつり

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