北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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催(一九五四年)の経緯とビアガーデンが始まった第六回までの歴史を簡潔にまとめたものである。第四回までは、実に盛りだくさんの内容だったことが分かる。戦後の北海道のまつりには、食に関わるものも多い。資料7はその先駆けといってもよい、一九五三年に幕別で開かれたあきあじ祭りの様子を伝える新聞記事である。形式としてはサケ供養の儀式としての位置付けもあるが、二千人も集まる大きな観光イベントになっている。会場では、アイヌ古典民謡(現・アイヌ古式舞踊)なども披露されている。サケ(あきあじ)を題材とするまつりは、その後各地で開催されるようになる。資料8はその一つで、一九五六年に集客を目的として開催されたさけ祭の情報を伝える石狩町の広報誌の記事である。新聞社やTV局も後援し、鮭料理を提供するとともに、鮭供養、神社祭典と並んで、花火、演奏会、映画会、歌謡ショーなど、盛りだくさんのプログラムになっている。高度経済成長期に入ると、観光目的のまつりが増えていく。資料9は、それに対し批判的な意見を述べた新聞記事である。伝統のあるまつりや個性的なまつりもあるものの、温泉祭り、さくら祭り、花にちなんだ祭りなど各地で似たような祭りがあると指摘する。全道で百近いすさまじさだという。また寄付を求められるデパートや商社、まつりにかり出される自衛隊、道警、学校のブラスバンドなどに関わる批判も紹介している。戦後の北海道観光ブームが本格化する前の一九五九(昭和三四)年の記事で、当時のまつりに対するまなざしの一端がうかがえる。こうした批判にもかかわらず、これ以降も、更に新しい形のまつりが現れる。その一つが、一九六九年から始まった富良野市の北海ヘソ祭り(北海へそ祭り)である。富良野市が地理的に北海道の中心に当たるなどとして命名され、571第二節 観光目的のまつりへの批判と新しいまつり    解 説

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