お腹を顔に見立てて絵を描き、頭部を大きな傘で隠して踊るのがメインイベントになっている。資料10は、祭りの創設をめぐる事情を綴った当事者による記録である。置戸の人間ばん馬も新しいまつりのイベントである。一九七七年の第一〇回おけと夏まつりで始めた山上祭バチ合戦がルーツで、八一年から人間ばん馬大会に名称が改められている。資料11は、新しい名称になってから二回目に当たる大会の模様を伝えた地元新聞の記事である。まつり全体がテレビ放送され、ドラマのロケの対象になっていることが分かる。ちなみに、置戸人間ばん馬大会は、一九八七年度のサントリー地域文化賞を始め、多くの賞を受けている。新たに創作されるまつりのなかで、同じジャンルに当てはまるものも出てくる。その代表例が北海道三大あんどん祭りである。一九七六年から始まった沼田町の夜高(ようたか)あんどん祭り(資料12)、八二年の八雲町若人の集いがルーツの八雲山車行列(資料13)、八三年開始のしれとこ斜里ねぷた(資料14)がそれである。資料から分かるように、開拓者の母村から学んで作り上げられたり、若者が独自に創作したり、友好都市から送られたねぷたが元になったりと、まつりのきっかけは多様である。一九八〇年代には、戦前から続くまつり、戦後生まれた観光や集客を目的にしたまつりやスポーツ・競技性のあるまつりなど、全体像を把握することが難しくなるほど数多くなる。資料15は、それを象徴するもので、一九八二(昭和五七)年発行の札幌市の広報誌『グラフさっぽろ』第二号の編集後記である。「さっぽろの祭り」特集を組んで調べたところ市内に九七二の祭りがあることがわかり、驚いた様子が綴られている。かつては増加する観光目的のまつりに対して批判的な意見も見られたが、この記事を紹介した新聞も含め、数多いまつりへの批判的なまなざしは感じ第三節 まつりへのまなざしの変化と更なるまつりの創造572 第1部 社会・文化 第9章 まつり
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