北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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スキー仮装行列(6時半から7時半まで)札幌スキー連盟の指導で行われるが十七日午前でもう三十組の申込があり、デパート、商店などの宣伝をねらつた変り種も飛出しそう、審査員には台臨の三笠宮殿下もぜひと市当局でねらつている。スクエアダンス夜の部(6時半から7時まで)一般の部で遠く釧路から第四回国体でランキングされた名チームや帯広、小樽、室蘭等の遠征軍に地元札幌レクリエーシヨン協会所属の職場チームが覇を競う。歌謡コンクール決勝(7時から8時まで)映画「銀嶺の果て」(8時から9時まで)その他会場を飾る雪像は北辰中二個、北海高、向陵中、道二高、工業高の各一計六個でいずれも三メートルから五メートルに及ぶ巨大なもの、また駅前には札鉄が自然の像、大通四丁目には交通局が三笠宮歓迎雪アーチを二カ所設置するなど市中は雪像オンパレードの観。(北海道立図書館所蔵)道内冬まつりの回数で最も多いのは札幌雪まつりの三十回。次いで旭川の二十回、紋別の十七回、帯広十六回、釧路十五回、網走十四回などが古参格。いずれもマチをあげての冬まつりで、大量の予算と労力が投入され、冬の観光資源として観光まつりの感も強い。回数からいえば当然札幌が起源―ということになる訳だが、そうでもないようだ。これは冬まつり―という定義をどこに置くかによって異なってくる訳だが、札幌の雪まつりにしても、小樽の小学校の校庭で開かれていた雪像作りがその元だという説がある。またまつりをマチを挙げての催しという点に絞ってみると、旭川で昭和二十二年に開かれた「北海冬まつり」というのがある。札幌の観光協会な回数で札幌、古いのは旭川北の編集室『ふるさと十勝』二六号一九七九年二月〔冬まつりのルーツを探る〕5 冬まつりのルーツを探る     第1部 社会・文化 第9章 まつり580

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