北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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に復活。かつての美観を完全に取り戻したのが昭和三〇年(一九五五)前後である。大通公園の整備の完了によって、都心から離れた中島公園でメイン行事を開催するよりも、交通の便がよい大通公園で開催するほうが市民や観光客にとって便利であり、また夏まつりの全市的な盛り上がりや経済面の活性化に益するところが大きいと判断された。ちなみに、第四回開催の昭和三二年(一九五七)には、大通公園一丁目に全長一四七・二m、地上九〇mに大展望台を持つ札幌テレビ塔が完成し、夏まつりの彩りに華を添えた。夏まつり行事の変遷第一回は二二行事で開催し、第二回からは狸まつりも参加第一回のさっぽろ夏まつりは、一七日に行われた市中パレードを皮切りに、およそ一ヵ月間にわたって二二もの行事が催された。その内容は、夏まつりパレード(市内行進)、ボート祭り(中島公園)、全国花火大会(豊平川河畔)、子供相撲大会(中島児童公園)、海水浴(オタネ浜)、宮城道雄演奏会(中央創成小学校)、納涼バス(茨戸)、第一回夏まつり懸賞写真募集(市内各催し物会場)、ビールの王様コンクール(狸小路ビヤホール)、ほたる狩り(円山公園)、六大学ジャズバンド(中島球場)、舞踊(中島児童公園)、明治デー(中島児童公園)、ページェント(中島スポーツセンター)、三つの歌(中島児童公園)、漫才、浪曲、民謡など(中島児童公園)、七夕祭り(中島公園)、森永デー(中島児童公園)、バンビ〔(製菓会社の商標〕デー(中島児童公園)、盆踊り(中島公園)、納涼電車(定山渓)、遊覧飛行(市内および郊外)となっている。翌昭和三〇年(一九五五)に開催された第二回では、前年に始まっていた『狸まつり』が参加することになり、装飾コンクール、狸みこし、狸太鼓などを目玉に、夏まつり発展の力強い推進力として期待を集めた。 『狸まつり』は、昭和二九年(一九五四)、夏まつりと同時期にスタートし、従来の売り込み商戦とは一線を画編者注)    第1節 占領下・復興期のまつり583

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