した形で催された。日頃商店街を利用してくれているお客様や商店街のシンボルともなっている狸に感謝することを目的に、商店街が一丸となって取り組み、狸小路一丁目に設けられた特設舞台では、神官を呼んで「狸供養」なども行われた。第三回は、新たに灯籠流しや、人気タレントも来札して華を添えたことで、まつりの様子がテレビで全国中継された。第四回は、時代風俗行列や郷土芸能大会なども加わり賑やかなまつりとなったが、この回から徐々に開催日数が減り始め、翌年の第五回ではわずか四日間のみの開催となった。これは、ボートまつりや海水浴のような行事を外したという理由のほかに、大通公園の規制や商店街の都合によるものであった。しかし、開催期間を八月に集中させたことでかえって人気が高まり、期間中の人出も倍増した。ビヤガーデンの誔生あらたに納涼ビヤガーデンが登場第六回からは、今日のまつりのメインイベントの一つともなっている『納涼ビヤガーデン』が初めて行われた。しかし、このビヤガーデンの開催までにはいくつもの問題をクリアしなければならなかった。第一に、大通公園は公園風致条例で厳しく規制されている公共地であり、公園内での商行為、営利行為は許されないという原則があった。しかも販売するのが酒類ということで、収益の一部を福祉団体に寄付する福祉目的だったとしても、そうすんなりと承認されるものではなかったのである。公園内での営業許可をめぐって根気強く交渉が繰り返されたのではないだろうか。第二に、ビールメーカーとの折衝であった。商戦の激しいメーカー間の思惑や消費量の予測の不確かさなども手伝って、交渉は難航した。その他に、「酒は陽気に飲むもので、しめっぽい福祉の酒では商売にならない」「伝統的にビールを愛飲するドイツと札幌では風土が違う。ビヤガーデンは日本人に紆余曲折を経て福祉を目的に実現化 第1部 社会・文化 第9章 まつり584
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