北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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なじまない」という批判の声も聞かれたという。このような問題や批判の声を受けつつも、主催者の福祉活動に向けた積極的な取り組みと、福祉関係者らの参加が功を奏し、初めてのビヤガーデンが開かれるに至ったのであった。快晴に恵まれ二千人あきあじ祭  【幕別】町商工会主催、幕別町役場、水産孵化場、鮭鱒水産組合、幕別町鮭鱒協力会、十勝観光連盟後援の水産事業普及協力と観光地としての堰堤の紹介と発展を期しての『あきあじ祭り』は秋空蒼おく澄みわたつた十八日、町相川十勝川堰堤を会場に盛大に挙行された。当日は帯広測候所の調査計がピツタリ当つた絶好のお千代田堰堤前市をなす(北海道立図書館所蔵)『北門新報』一九五三年一〇月二〇日祭り日和と折からの日曜日のため、止若駅発の臨時バスは一番バスから満員スシ詰の盛況さ、十時をすぎるころから各種団体が続々と貸切りバスで乗りこみ、近郊から三輪車、自転車での集合でさしもの広い堰堤開催所は約二千余名の人々で埋まり止若市街から出張してきた屋台店の売声とでお祭り気分は最高潮に達した。定刻を約三十分おくれる午前十一時半、あきあじ供養   になるまでの実物に眼を見張つた。式典が『鮭鱒慰霊塔』前で野村神官の荘厳なる祝詞によつて挙行された、式は進み中島あきあじ祭り協賛会名誉会長(町長)、同笹井会長(商工会々頭)などの玉冊奉典の儀の後送神の儀によつて同十二時供養式典は終り、引続き祝賀会に入つた、一方銀蘭荘に建設された舞台では古市社中、竈々社中、藤間社中のお嬢さんたちによつて日本舞踊が舞われ、特に日本舞踊の幕間に行われた旧土人の手拍手を打つてのむせび泣くようなアイヌ古典民謡には参観者一同の猛烈な拍手をあびた、このほか水産展示会、写真競写会などが行なわれ、鮭鱒の卵から成魚7 サケ供養としてのあきあじ祭り第1節 占領下・復興期のまつり585

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