もの〟などと批判はとりどりだ。さて、北海へそ祭りの由来記としては随分と前置きが長くなりましたが、話はこれからが佳境に入るわけであります。市民憲章が制定されたが、今後この憲章が三万市民にどのようにして普及浸透させてゆくか、ということで制定専門委員会でも話題になったほどでした。筆者はいろいろ思考した末に、物にはすべて中心がある、中心は人間でいえばヘソだから市民憲章が出来た機会に「へそ祭り」「へそ音頭」「へそ踊り」を創作したら郷土の芸能祭りにならぬものかと創案作りに着手しました。その趣旨は次のようなものでした。一、富良野は北緯四十三度二十四分 富良野市郷土研究会『続 東経百四十二度十富良野こぼれ話』一九八四年〈中略〉六分北海道の中心点としての観測標が市の重要文化財に指定されている。二、開拓時代は何事も臍下丹田(せいかたんでん)に力をこめて大原始林を伐り拓き「ヘソ力」を振ってこの美しい富良野を開拓した。三、ヘソは母の胎内から生命を授けられた神秘的な命の根源であり、生命の証言であり、親と子の絶対的に神聖な絆(きずな)である。 四、合併市制施行後の住民感情は必ずしも良好ならず和睦運動の必要に迫られている。五、全国的に大学紛争の最中で親を忘れ、家を忘れ、町や国を忘れ……いわゆる中心を忘れた学生運動が暴徒化して亡国的争乱に明け暮れている現状に、ものの「中心」の大切なことを警鐘する必要がある。サァ、それからが大変で二人〔(操上、横尾〕は先ず富良野町役場時代の元助役であった森田藤八さんが退職後割烹清島家を経営しておられて、富良野民謡会の会長で編者注)〔第三話 北海ヘソ祭りの由来〕北海ヘソ祭りの由来第1部 社会・文化 第9章 まつり10 590
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