北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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あったところから相談に伺ったところ「それは大いに意義のある話だ。お話を承った以上、私も何とか協力しましょう」と力づけて下さったので筆者が「協力でなくて三人で一体となってやりましょう」と誓い合った勢いはよかったのだが、何がサテ、イザ手をつけてみると仲々どうして、建て前と実際は頭で考えた簡単なものでありませんでした。森田藤八、横尾栄治郎、操上秀峰の三人は連日連夜、雨の日も風の日も七十数日間というものは文字通り寝食を忘れて創作に専念しました。さて、こうして苦心惨憺の音頭原曲が充分とは評価されないまでもテープに吹き込んだので早速振付けに移すことになり、富良野生まれの藤間真富先生に踊りの振付けをお願いしました。藤間先生の最も苦心された点は「ヘソ」と云う表現をユニークに振付ける点で随分と苦労されたと聞いています。八月一日、市役所での観光協会の常任理事会の席上で藤間先生の振付けによる「北海へそ踊り」が初めて披露され万()場異議なく拍手で採択さ〈中略〉ママれました。しかし、このあとこれを演出する行事主体名を  鶴のひと声で断が下り、へそ踊り発表期日は八月十五日の二者択一をめぐり議論沸騰一時間余り、曰くと甲乙論駁が続きましたが、最終決定権は市長である高松竹次観光協会長の裁断にゆだねられました。高松会長は「へそはヒワイにあらず、北海へそ祭りとしょう」とと決定したのです。北海へそ祭り北海道中心祭りはヒワイで下品だは堅すぎて面白味がない最高の盛り上りみせた 『置戸タイムス』一九八二年七月一五日おけと夏まつり(北海道立図書館所蔵)盛り上がる人間ばん馬第2節 観光目的のまつりへの批判と新しいまつり11 591(2) (1) (2) (1) 

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