偶然の出合いから二五年沼田町夜高あんどん保存会 昭和五一年、或秋の夕方、私の家の電話が鳴る。確か役場の職員からであったと記憶する。「今、五カ山牧場で〔(編富者注山)県〕小矢部市から獅子舞を指導に来て頂いた方々の送別のジンギスカン鍋をやっているのですが、是非吉住さんにも来て欲しいのですが」との電話、わざわざ遠くから来て頂いており、どんな人達か興味もあったので、今は亡き山森清さんを誘って牧場へ。メンバーは、小矢部市から派遣された〔(富山県の当 ママ) の方達が、良い雰囲気で飲んでいらっしゃった。宴席は時〕津沢町(沼田喜三郎翁の生まれ育った土地)清水からの越中獅子舞の指導団で、折田団長以下一〇名(この後の北清会の中核となり、あんどん祭を支えてくれた素晴らしい皆さん)と沼田町の役場職員、指導を受けた北竜願海寺獅子舞の代表栗中孝さん、沼田越中獅子の代表上林正さん(残念ながらお二人共既に故人)等一七名位もう終わりに近かった様でしたが、早速お互いに自己紹会長 編者注)介、暫くして一行の真栗さんと云う方が「吉住さん、津吉住敏夫沢には獅子舞よりも、もっと素晴らしい夜高あんどん祭と云うのがあって、それは三〇〇年の歴史がある由緒あるすごい祭りですよ。それを分家の沼田でやられたらいいのでないかと、吾々昨日からその話をしていたのです。」私は驚き、初めて耳にした夜高あんどんという言葉、特に夜高というい(かしげな言葉に惹かれ、詳しい話を聞いているうちに、町おこしに各町村がしのぎを削っていたときでもあり、この話まんざら悪くは無い話と〈百聞は一見に如かず〉、翌年のお祭りを皆で見に行こうと話がまとまり、早速、当時の故西森町長の理解を得、昭和五二年六月、沼田忠さんを団長に、私が副団長、山森さん、栗中さん、上林さんに、当時の商工会から広野伸一理事、佐々木外史雄青年部長、役場より山本七郎総務課長の計八名で、青函連絡船と列車で一昼夜かけて見学にいきました。あれから早くも二五年、最初目にしたときは、これは凄いがとても沼田では出来ないという思いが正直な感想第1部 社会・文化 第9章 まつり594
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