北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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資料2は、一九四六年八月三日に札幌で創刊された『新北海』の「創刊の言葉」である。読者にとっての「言論の資料3と資料4は戦後間もない頃に地方で創刊された新聞の記事である。資料3は、一九四六年に創刊された『根室第二次世界大戦下で、新聞の「一県一紙」体制が取られ、それまで一一紙あった北海道の新聞は、一九四二(昭和一七)年一〇月三一日に北海道新聞一紙に統合される。戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令によって、新聞統制が撤廃され、再び、自由競争下での新聞発行が可能になると、全国で一斉に新聞の創刊や復刊への動きが活発化する。しかし、用紙不足もあり経営を軌道に乗せることは難しく、創刊しても廃刊や休刊に追い込まれる新聞社が多かった。経営が軌道に乗り始めるのは、一九五一年に用紙統制と購読料統制が撤廃されて以降である。北海道でも、販売競争を通じて各地に有力な地域紙が成長してくる。自由」とは「選択の自由」であるとし、道民にその「自由」を保障するために創刊に至った経緯が述べられている。『新北海』は一九四九年一〇月一日に『北海タイムス』と改題し、一九九八(平成一〇)年九月二日まで発行を継続した。新聞』の「創刊の辞」と「百号を迎えて」、資料4は、一九四八年に創刊された『日刊宗谷』の「創刊のことば」である。いずれも復興過程にある郷土のために、市民の新聞としての使命を果たす決意が掲げられている。どの新聞社も強い郷土愛に支えられて新聞発行に至ったことが分かる。我が国におけるテレビ放送の始まりは、NHK・民放ともに一九五三(昭和二八)年である。北海道では一九五七年に北海道放送(HBC)が民放初の放送を開始する。とはいえ、この時期から北海道の全ての世帯でテレビ放送が第二節 第三節 地方紙の簇生と成長農村型ケーブルテレビ(CATV)の登場608   第1部 社会・文化 第10章 地域からの情報発信

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