北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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と、雑誌発行を継続することには様々な困難が伴うこと、などが分かる。一九七〇年代には、札幌市でイベントやファッション・グルメ情報を中心とするタウン誌が成長してくるが、地方のタウン誌には、郷土誌的な性格を残したものも引き続き多く見られる。資料11の『月刊ポケットむろらん』(七三年創刊)の創刊号では「室蘭線の急行列車小史」が、資料12の『ふるさと十勝』(七六年創刊)五九号では、終戦直後に創刊された『凍原』についての記事が掲載されている。一九六〇年代に盛り上がる市民運動を通じ、マスコミに対する不信感が高まる中で、マスコミに対するアンチテーゼという意味を持つミニコミ誌の発行が広がる。このため、当初は既成の文化や体制に対抗し、自らの主義・主張を掲げるミニコミ誌が多かった。しかし、高度経済成長期が終了し、人の流れが地方に向かう時期になると、環境、福祉、医療、人権、平和などの生活問題に関する分野で数多くのミニコミ誌が発行されるようになる。資料13は、帯広市で発行されていた『市民会議ニュース』創刊号(一九七二(昭和四七)年六月五日)で、「生命と健康、水と緑、空気を守り、明るいマチをつくる市民会議」という団体のミニコミ誌である。資料14は、札幌市で発行された『くらしを洗おう』第二号(一九八四年五月)に掲載されたもので、当時全国的に問題になっていた合成洗剤について取り上げている。さらに、一九八〇年代後半になるとまちづくり系のミニコミ誌が登場する。資料15は、十勝管内のミニコミ誌発行者をつなぐ「とかちミニコミ・ネットワーク」の会報『ミニコミのミニコミ』創刊号(一九八八年九月二〇日)の記事である。資料16は、八雲町で一九九〇(平成二)年六月に創刊された『なもないミニコミ誌』の編集長による創刊の言葉で、〝八雲はステキな町〟と言ってもらえるようにしたいと抱負が語られている。第五節 ミニコミ誌の隆盛とその性格変化610   第1部 社会・文化 第10章 地域からの情報発信

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