創刊の言葉 「言論の自由」といふことは所謂基本的人権の一つである。この「言論の自由」が戦時中いかに圧迫され官制化されたかは、国民の等しく知るところであつて今さら贅言を要しまい。言論機関の代表である新聞が強制的に廃刊せしめられたり又は統合せしめられて軍閥や官僚の走狗となり下つたのなどはその著しい例であらう。終戦後「言論の自由」は与へられ表面は頗る活潑な論義が展開されてゐるやうであるが、諸々の情勢は必ずしもそれを自由になし得る条件を与へてはゐない。たとへば一番大きな言論機関である新聞の場合においてみても、新北海新聞社社長 『新北海』一九四六年八月三日その自由なる創刊といふことが用紙その他の関係から思ふやうにはならず、多くの地方においては今日なほ戦時中の所謂官制統合新聞が、むかしのまゝに独占を恣にしてゐる現状である。読者の立場からは「言論の自由」とは批判の自由、即 海道に以上のやうな客観的情勢が存在してゐることに大ち新聞を選択し得る自由にあるのではないかと思はれる。独占化された新聞がその特権を悪用して独善的なる言論山口喜一 をおしつけたと仮定して、それを好まざる読者が他に代るべき新聞の存在しないために「新聞選択の自由」が拘束されるとすれば読者の立場からする「言論の自由」は事実上は存しないといふ事にならう。三百五十万道民がいかに公正にして清新な日刊新聞の創刊を待ち望んでゐたかといふことはわが「新北海」に寄せられた各方面の絶大なる声援に徴しても明らかであるが、これはわが北きな原因があるわけである。従つてわが「新北海」は三百五十万道民の新日刊新聞を切望する圧倒的な与論の支援によつて誕生したといへるのである。第二節 地方紙の簇生と成長2 新北海の「創刊の言葉」615第2節 地方紙の簇生と成長
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