北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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タウン誌「街」と函館の歴史この小冊子を三十数年支えてきたのは、末尾に名を連らねている賛会員の色々な業種の店だろう。その一つ一つを当初からの会員名簿に当たって眺めていると、風俗というのは、時代と共に栄えたり衰えたり亡びたりするものだということが判る。タウン誌「街」が、まだ「函館百点」といっていた頃    があり、現代があり、モンクールがあった。いずれにもはキャバレーが全盛であった。未完成があり、フロリダ若い美しいホステスたちがいた。当時のキャバレー未完有限会社街『タウン誌・街』四〇〇号一九九五年一二月成の広告を見てみると、ヌードダンサーでも歌手でも一流の人たちが来ていた。敗戦とか食糧危機とか、徴用で広島の軍需工場へかり出されて函館へ戻ってきた人も少なくないからあの忌まわしい原爆の恐怖から解放されて、ようやく人間らしい生活ができた四十代・五十代の苦労してきた男たちが、若いホステスや美しい踊り子たちと踊って、しみじみと、これが平和というものだと思ったといっていた。木下 順一 バーや盛り場が賑やかだったときは、街の表通りにはたくさんの喫茶店があって、街角は珈琲のいい匂いがただよっていた。画家志望の若者や文学青年たちは喫茶店に集まり、小林秀雄のゴッホの話や、太宰治、三島由紀夫、戦後派文学の野間宏や椎名隣)三についてや、画では抽象絵画やカンデンスキー、シャガール、ピカソの話を熱っぽく戦わしたものであった。そして、見てきたばかりの映画の話などをしているのは恋人たちだった。しかし、今はもう表通りから喫茶店はすっかり姿を消し、街角は銀行の店舗に変わった。タウン誌「街」に、(ママ第四節 郷土誌からタウン誌へ8 月刊はこだて「街」626第1部 社会・文化 第10章 地域からの情報発信

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