北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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わたしは信じている。本誌が五十冊出たということは、郷土推進のひとつの矢ともなっているこの雑誌を五十回打ち出そうとする善意の結果があったればこそなのであると信じている。小樽の未来の百年の道程を思うなら、この五十冊はほんの序であるかもしれない、しかしそれらの序を経て、次の真っ白い頁に向ってまた一歩をすすめるという、地味な積み重ねをかさねながら次の百号次の千号を夢見る、そしてともにそれらの時点で花咲く小樽を夢見るものなのである。旭川春秋とわたし〈中略〉三浦綾子記念文学館 (北海道立図書館所蔵)『旭川春秋』三一巻九号一九九五年九月 「旭川春秋」誌が創刊されて、今年で三十周年とのこと、心からお祝いを申し上げたい。かつて私の父は、旭川市内の小さな新聞社に幾年か勤めていた。また上川管内の結核療養者の会「同生会」の機関誌に二、三年編集の手伝いをしたことがある。小さな印刷物であったが、それが出来上がるまでには、企画、編集、印刷会社との交渉、宛名書き、発送等々それなりの苦労をいささか体験させてもらったものであった。ある時父が言った。(米谷裕司) 「綾子、父さん達の仕事に、一番大事なことは何か知っているか」毎日広告取りに忙しかった父の言葉である。「お金?」「いや、いい記事が集まることだよ。そしてそれを読んでもらうことだよ」私は父の言葉に、新聞人としてのプライドを見たような気がした。三浦綾子 使用許諾番号11旭川春秋630    第1部 社会・文化 第10章 地域からの情報発信10 

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