北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
647/1232

峰ぽさんか、川田美津枝さんかと問われることがあるが、 うっ   「旭川春秋」誌が三十年続けて来られた中で、私も幾つかの随筆を書かせていただいた。果たしてどんな原稿を書いていたかと、この度調べてみた。「氷点あれこれ」(S四十年七月号)、「生き残るということ」(S四十四年八月号)、「度忘れの弁」(S五十年一月号)、「姑の死に思う」(S五十四年一月号)、「ある十七歳」(S五十五年一月号)そして「辰子の恋人」という一篇を、S四十二年二月号に書いている。どうしたわけかこの最初の一篇に「辰子の恋人」だけは、エッセー集に収録されていない。辰子というのは小説「氷点」に登場する重要な人物の一人で、踊りの師匠なのだ。美人で才気があり、姐御肌の辰子は、読者の間にも評判がよかった。この辰子は西崎愛ろ言われてみると、なるほどそのどちらにも似ているところがある。ところで、この辰子さんの恋人なる男性は、小説の中で只一言、「マルキストでね、万葉集などを読んでね、獄死させるにはもったいない男だった」とだけ書かれてある。実は私のつもりでは、このもったいない男性は、先年亡くなられた五十嵐久弥さんをイメージに持っていた。旭川の歴史には欠かせない人物なのである。それはともかく、この度「旭川春秋」誌に掲載させていただいたエッセーを読み返しながら、活字化することの大変さを思った。今でなければ言えないということがある。その時代その時代、真実こめてぶつかる言葉を、私たちはもっともっと大事にすべきではないのか。タウン誌の随筆欄は、想像以上に重要であることを思って、厚く御礼を申し上げる次第である。(北海道立図書館所蔵)室蘭線の急行列車小史『月刊ポケットむろらん』五〇号一九七七年一二月月刊ポケットむろらん631第4節 郷土誌からタウン誌へ11 

元のページ  ../index.html#647

このブックを見る