(ママ館にコミュニティFM放送局(FMいるか)が生まれました。地域に密接した放送局の意義は深く、街づくりの一役を荷)い市民を巻き込んでの運営の土台が築かれました。その後、情報化社会の構築・発展という国の政策の後押しを受け全国的な動きの中でおおよそ一二〇局が次々と開局されました。北海道でも旭川・釧路・帯広(二局)と相次いでコミュニティ局が開局しました。(二〇〇二年現在、道内一六局(内一局開局準備中))九五年、阪神淡路大震災後、災害FM放送フェニックスが混乱の市民生活に迅速な情報提供をおこないその復興を手助けし、またその半年後コミュニティ放送(FMど存在意義が絶賛されました。これを契機として災害に強い特性をもつラジオという媒体が全国的にも注目を集め、一気にコミュニティ放送への関心が高まりました。そんな流れの中、全道六番目の放送局として九六年、わぃわぃ:神戸)の開局によって被災者への心のケアな岩見沢にもコミュニティ放送局(正式名称:㈱コミュニティエフエムはまなす)が誕生することになりました。街の活性化はもちろん岩見沢市は断層が縦断する町でもあり災害に備える意味でも開局に寄せる関係者の期待は大きいものがありました。当時、人口一〇万人以下の街での放送局は例が無くその運営も厳しいものが予想されました。そんな中、FMはまなすは岩見沢市や商工会関係はもちろんのこと、全国ではじめてという市民の直接的な運営参画(市民放送サポーターの組織化)という方策を実現させました。以後、この動きは全国的にも注目を集め現在では放送 民サポーターの活躍が街づくりそして、文化の向上とい局成功の一要因ともなり、その後開局するコミュニティ放送局の一つの動きとして放送局スタッフと連動した市う観点からも注目されていくことになります。そして、空知管内第二番目の放送局として中空知の拠点都市、滝川市にあって二〇〇一年一一月二五日地域密.647第6節 コミュニティFM放送局の広がり
元のページ ../index.html#663