北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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資料1は、北海道開拓協会が開拓地の食生活向上にむけて一九五二年に発行したものである。開拓農家にとって主一九四五(昭和二〇)年、戦後間もなくの食糧事情の窮状は悲惨であり、配給もままならない事態が二年ほど続いた。飢餓をいかに防ぐかが深刻な課題であり、消費者による「空腹行進」や「ヤミ市」などは、食糧不足当時の実態を反映した風景といえる。その後に改革、制度整備が進み、食糧生産が徐々に回復の兆しを見せてきた。栄養改善運動が始まり、学校給食を通じた栄養指導も拡大した。米を主食とする我が国の食生活に変化の兆しが見えてきた。中でも戦前から北海道民に利用されてきた羊肉の消費拡大は、ジンギスカンとして郷土料理の一つに成長した。食の米食に加えて、パン食の採用は農繁期で忙しい主婦の調理労力を節減することを可能にした。また、パン食の採用によって副食物の選択という新たな課題が見られた。それは、主食のパンに合わせて、副食物に肉、卵、乳等の畜産物の利用が必要となるからである。開拓地において主食にパン食を採用することは、食生活向上の指導組織として、北海道に生活の指導員が配置されることにもつながる。北海道の生活改善普及事業としては、一九四八年に普及事業(農業改良、生活改良)を所管する道庁経済部農業改良課が新設され、翌年にはそれぞれの普及員の選考が行われたが、生活改良普及員の合格者は四名だった。北海道はパン食の普及と洋食浸透解 【食文化】第一節 食生活の変化の兆し651  説 (1) 解 説

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