様々な北海道銘菓として活用される原動力となった。一九七五(昭和五〇)年頃は経済の成長も安定期に入り、簡単で便利な食への消費者ニーズを反映して、コンビニエンスストアやファストフードの店が急増する。食生活では、主食である米の消費量が急減する、いわゆる米離れが顕著に進んだ。このことにより、米の生産は「量より質」への転換を余儀なくされ、味の評価が低かった道産米は変身し、道産米の道内食率は上昇し全国ブランドとして評価されるに至った。一方で、道内を訪れる観光客が急増したこの時期、高い知名度を維持し続けるラーメン、ジンギスカンなどに加え、新たなメニューとしてスープカレーが誕生した。従来のルーカレーと道産野菜の代表格である人参、玉ねぎ、馬鈴しょの特性を活かす点は共通するが、昆布等で取る出汁の旨味を活かしたスープのこだわりが店舗の特徴となり、急速に北海道の象徴的メニューとして発展した。ある。当時、国民の米消費が大きく減少する中で、量より質の時代となり、良食味米品種の創出という期待が道産米にもかけられていた。その期待に応えて上川農業試験場が開発、出品したのが「上育397号」であり、その開発に関わった職員が開発の経緯や、従来とは異なる一般公募により「きらら397」と命名したこと、イメージキャラクターの導入によりCM展開したことなど、以前の不味い道産米のイメージを払拭するための新品種への取組が必須であったことが紹介されている。実際に「きらら397」誕生は、農家、流通業者、消費者の道産米に対するイメージ一新に成功し、その後、続々と良食味品種が誕生する契機となったことはもとより、「きらら397」誕生前には三〇%台資料7は、一九八九(平成元)年から九七年に発行された北海道立上川農業試験場関係者の会報(『むーべる会』)で道産米の改良第三節 量から質への転換655(1) 解 説
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