北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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と低く推移していた道産米の道内食率が大幅に向上し、多くの道民が道産米を食するという画期的な変化をもたらした。レー店 店主)から荒川義人委員、秋野禎木委員が行った聞き取り調査の記録である。多くの道民や観光客から愛され、今や北海道を代表する食の一つとなった「スープカレー」について、なぜ北海道で誕生し、急速に人気が高まったのか、その経緯や背景についても、業界第一人者として広く道内外に知られる井手氏から伺った話を抜粋してまとめたものである。の田中敏文北海道知事の寒地住宅政策である。北海道は開拓使時代から慢性的な住宅不足メカニズムを背負っており、太平洋戦争を経て、戦中からの建築資材不足の上に、空襲被害者、樺太・千島からの引揚者、復員者への住宅対策を迫られていたが、既存建築物を改造するなどしても到底間に合わない状況であった。その中で最後の道庁長官でもあった、民選の初代田中敏文知事は、一九三五年に、道庁に勤務以来見続けてきた、隙間だらけの粗末な家で一冬に資料8は、二〇二二(令和四)年一二月一日にサッポロさとらんど(札幌市東区)において、井手剛氏(スープカ資料9は、一九八四(昭和五九)年一一月に刊行された『田中敏文を偲ぶ』で振り返られている、一九四七年当時人気沸騰のスープカレー開拓使以来の住宅不足【住文化】第一節 戦後の住宅政策のはじまり656(1) (2) 第1部 社会・文化 第11章 食文化・住文化  

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