北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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家一軒建てられるほどの木材量となる薪を燃やす住宅の有り様が、知事就任後の住宅政策を生むきっかけとなっていると述べ、歴代の開拓使・道庁の長官任期が短いという、寒地住宅政策を取れなかった原因にも触れながら、寒さに対応できる住宅が絶対必要であると説いた。年秋に、道に建築部が設置され、寒地住宅への施策が動き始めた。慢性的な住宅不足と引揚者住宅の不足の問題は、北海道の文化・経済・保健など道民生活に悪影響を及ぼしているだけでなく、日本再建のホープとして推進されていた北海道の総合開発の三大目標である資源開発・収容人口増強・北方生活文化確立の妨げであった。寒地住宅の改善普及は住宅の量的・質的問題の解消を目指す道政に組み込まれ、さらに、北方生活文化の向上に向け『北方住宅』が道建築部内に事務局が置かれた北海道住宅建設協会から創刊された。創刊号においては、道建築部長である熊谷兼雄の「創刊に寄せて」や、寒地住宅座談会の記事も掲載されている。述べられたものである。この中で田中敏文知事は、道の重要施策の一つである住宅対策の過去八年を振り返り、国民経済の復興と人口問題の解決に寄与する北海道総合計画の達成に向けた、住宅事情の理解と対策のあり方の検討のた資料10は、一九四九年一二月の『北方住宅』に掲載された記事「北海道の住宅事情とその対策」である。一九四八資料11は、一九五五(昭和三〇)年三月に刊行された『住宅年報』の序文で、北海道総合計画における住宅政策が北方生活文化確立のための寒地住宅十数万戸以上の住宅不足第二節 敗戦後一〇年の住宅政策657(1)   (2) 解 説

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