作った塩を販売したり、食糧と物々交換したりする者もいた。は、炭鉱の労働力不足や労働争議などにより石炭の生産や配送が安定していなかった。記事にもあるように、道庁や市町村などが各炭鉱に家庭用石炭の提供を陳情したり、要望したりしていた。それにもかかわらず、事態が好転しないため、町内会のメンバーが直接炭鉱に出向き、石炭を確保する行動に出たわけである。同様の行動は、旭川市民によっても起こされている。また、空知の炭鉱地帯の人々が大挙して農村へ食糧調達に押しかける「強制買出」事件(一九四五(昭和二〇)年一一月一四~一六日)もあった。た後の物資の配給の実際がうかがえる資料として、一九四七年九月四日と一〇月一〇日の『北見新聞』に掲載された記事を引用したものである。衣料品や鮮魚を扱う小売店のうち、配給を行う店として登録するために実施される、消費者による投票を市役所が促すとともに、補修用建具の配給の順番を指定する様子が分かる。また、木炭は在庫があるにもかかわらず、種々の理由で出荷が止まっていること、石炭は大口消費の工場用を確保した上で、その他を町内会を通じて配給する予定が示されている。地方の食糧供出を強く促す発表である。十勝支庁管内の農作物の供出が他管内と比べ不振である原因として、農作物価格の変更、さらに超過供出による所得税や翌年の供出割り当てへの影響に関する農家の不安があると考え、それらを払拭するため改めて農林省の公式説明を示している。食糧緊急措置令による力ずくの強権供出とは異なる対応も存在したことがうかがえる。資料3は、札幌市の町内会のメンバーが炭鉱に行き、石炭を直接調達した様子を描いた新聞記事である。敗戦直後資料4は、戦時中配給の機能を果たしていた隣組が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の命令により解散され資料5は、当時の十勝支庁の食糧供出関係書類に記録されている、一九四八年にGHQ北海道軍政部が出した十勝52第1部 社会・文化 第1章 終戦直後の混乱と生活
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