北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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〔二六号一九九六年〕の米袋が、銘柄米として、首都圏の店先にならぶなどとは到底考えられなかった。そして、それが今や全く覆がえったのが、最近の首都圏のスーパーである。よくもこんなに広く、道産米が愛食(愛飲という言葉があるから、愛食もあってよかろう)されるようになったものと、ただただ、驚くばかりである。私が、太平洋戦争終戦後、永山に居た頃には、吉野至徳さんの作った「水稲農林二〇号」と、山口謙三さんの手になった「富国・栄光」が、北海道米の革命児であるといわれた。しかしそれを、誰も、日本全体のレベルで語ったのではなかったろう。たしかに、これらの品種は、それまでの道米の水準を抜け出していたが、道米はおいしくないという考えを拭いきることはできなかった。この考えを完全にくつがえしたのが、「きらら である。これからも恐らく、色々な面で、内地の府県産米に少しもまけないような新品種が、上川農試から生れてくるだろう。第二、第三のキララ後継の素晴しい新品種の創出を待っているのは、北海道の水稲育種にかって関係した者たちだけではないだろう。平成八年八月八日。本道主要夏作物の作況がやや不良となる中、上川の水稲が何とか「平年並」の見通しを得た頃であった。伊勢神宮神田事務所、森普氏より伊勢の皇大神宮御鎮座二千年を記念する「農業館」再建にあたり、奉納品として、全国的に実績の著しい「コシヒカリ」、「ササニシキ」、「あきたこまち」、「ひとめぼれ」の四品種に加えて、三九七」当場育成の「きらら三九七」を推奨したい旨の有り難い申し入れが場長になされた。こうした祭事に係わる経験、知識に乏しく当初困惑し     たが、幸い旧農試の地、永山神社の太田利三郎宮司から種々のご指導を賜る事ができた。まず、稲標本を納める(元支場長 「きらら三九七」伊勢神宮「農業館」奉納顛末 昭二十年~二十四年)〔人 名〕 679第3節 量から質への転換

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