北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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〔二七号一九九七年〕うつわを考慮。これは永山で昔から木工芸に定評のある児玉製作所に相談した。児玉利憲氏には北海道の銘木である「一位」で、知床産の推定樹齢実に千百年、伐採後八年間慎重に乾燥調整したという素材を提供して戴いたうえ、宝物造りなる秘伝の技を駆使、盆休みをも返上して二週間にもわたる奮闘の末、四面の木目が寸分違わぬ自信作を納めて戴いた。「きらら三九七」育成の思い出昭和五十八年の生予〔(生産力予備試験〕はこの組合せ   ナライザーで行いましたが、やはり食ベて見ないとどのだけで五十六系統と特に沢山の材料を供試しています。食味成分分析は系選〔(系統選抜試験〕の時からオートア程度の良食味か確証が持てません。育種科全員で試食試験を行えば良いのですが、当時は道費と指定試験に別れていたこともあり、生予の材料まで試食試験ができな〈中略〉編者注)編者注)かったので科長の了解を得て自宅で食味試験を行いました。育種科の古い電気釜を四つ借りてきて、朝と晩に家内に炊いてもらい「キタヒカリ」を比較にして食べ比べました。一釜三合で四釜づつ炊くので一回に合計で一升二合の炊飯になり、試食後はご飯が毎回大量に残ったので、残飯は家内が近所の公宅に配って処理しました。昭和五十八年産米は大冷害の年だったので味は劣っていましたが「キタヒカリ」より美味しいと感じたので、次の世代には全体の約半分の十七系統をこの組合せから選び〔人 名〕 ました。昭和五十九年は高温年だったので「きらら三九七」は府県産米並みに美味しくびっくりした覚えがあります。「上育三九七号」の番号を付けて転勤しましたが、後の人にうまくまとめてもらい無事品種になりました。水稲の育種法では系選と生予が材料を一番絞り込むために最も重要なポイントであると私は思います。その系選と生予を担当していた時「きらら三九七」のような大品種ができて育種家として幸運であったと思います。当680第1部 社会・文化 第11章 食文化・住文化【食文化】

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