時の道費関係の育種は佐々木科長と柳川さんと私のたった三人でしたので「よくこんな品種が選抜できたなあ」というのが実感です。現在も道南農試で稲の育種をしていますが、「きらら三九七」のような品種を目標に働いています。(元水稲育種科研究職員 年四月~六十年四月)(北海道立総合研究機構上川農業試験場)昭和四十九聞き 手 井手 氏 〔(札幌市のスープカレー店名〕さんから始まり、う〈一九九九~二〇〇五年頃〉編者注)まず最初にスープカレーというものが、いつごろ認知されるようになったか、その時期は大体、このぐらいだというのはありますか。もともとは薬膳スープという形で、アジャンタちが開業したのが一九九九年ですね。その時にはもうスープカレーという言葉は徐々に出始めていて、初めてその言葉を作ったのがマジックスパイス〔(札人気沸騰のスープカレー〔インタビュー記録〕対象者 レー店店主)、聞き手 月日 二〇二二年一二月一日、場所 さとらんど(札幌市東区丘珠町五八四―二さとらんどセンター)井手剛(スープカ荒川義人、秋野禎木、年サッポロ編者注)8 「スープカレー」認知の広がりとその背景681第3節 量から質への転換(2)
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