北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
70/1232

ツダム政令第一五号により改めて町内会・部落会等の廃止を命じることにつながった。民からの手紙である。浜益村では町内会・部落会廃止後、新たな組織が作られたものの、実質的にかつてと同様の仕組みが維持されているとの告発である。GHQの指令にもかかわらず、町内会・部落会等の機能が姿を変えながら維持されていた様子がうかがえる。その後、一九五二年四月二八日のサンフランシスコ講和条約発効によりポツダム政令が失効し、部落会・町内会は全国的に復活していった。一九四五(昭和二〇)年一〇月四日アメリカ軍(進駐軍)が函館に上陸した。その後、同年一〇月三〇日までに小樽、札幌、旭川、室蘭、稚内、美幌、帯広に駐屯地を構えた。進駐軍は各地で建物を接収するとともに、自治体関係者は進駐軍のために様々な対応を行った。工事に関わる予算要求書と進駐軍の慰安施設の状況を示すものである。前者には、戦時中に荒廃した道路の修繕・整備、除雪作業などが予算要求項目として示されている。後者には、特殊慰安施設に重点を置き性的慰安婦を充実すること、進駐軍専用のビアホール、ダンスホールの新設等の必要性が示されている。「長官事務引継書」には、これ以外に、進駐軍への土産品確保に関する件として百貨店等関係機関に協力要請を行う文書なども残されている。占領期には、進駐軍兵士による不法行為や進駐軍に対する不法行為が少なくなかった。『北海道警察史』(北海道警資料9は、ポツダム政令以後も存在する町内会・部落会と同等の仕組みに疑問を持ち道庁に問合せを行った浜益村資料10、資料11は、いずれも「長官事務引継書」に含まれた資料で、進駐軍への対応の一環として行われた、道路第五節 第六節 進駐軍への対応進駐軍兵士の不法行為と対進駐軍不法行為54第1部 社会・文化 第1章 終戦直後の混乱と生活    

元のページ  ../index.html#70

このブックを見る