北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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た。寒冷地北海道の本格的住宅建設をどうするかに情熱を燃やした。そんな田中さんの心境を探ぐるにふさわしい遺稿がある。話はさかのぼるが、昭和十年、学校を出て道庁へ勤めるため津軽海峡を渡った。道庁の林務官となり、そして初めての冬の生活を(昭和十年~十一年)今の北見山中の国有林の奥、熊が跳梁する世界で、官行事業に補助員として一冬過した。このときの印象が、後半知事になってからの住宅政策を生むきっかけとなっている。要するに、隙間だらけの粗末な家を建て、一冬に家を一軒建てられるほどの薪(木材量)を燃焼させる生活を開拓以来続けてきたのであった。それが私に強く印象づけていた。住宅政策は、一年、二年で効果を確保し得るものではない。必要なことはまず生活の合理化をやろう、という意欲を住民自身が持つことである。ただ、その方法を知らぬ。持ってゆき方で、それは改革され得ると考えた。私は、明治初年以来北海道開拓使顧問だったホーレス・ケプロン氏の意見書を調べた。そして、強い主張で寒地住宅の必要性を説いた。が、その原因は多様な施策と年月がかかる。だが長官任期の決まらないことがマイナス条件となっていると思った。昭和二十二年四月二十一日退任の第三十一代岡田長官まで総計六十一年百日、これを三十一で割ると、歴代長官の任期は二年足らず、正確にいうと一・九八年、最長は八年の第八代園田長官(明治三十一年十一月~三十九年十二月)、第二十一代佐上長官(昭和六年十月~十一年四月)が目立つ程度、短かい方で第二十八代持永長官、第二十九代留岡長官の三ヶ月、第三十一代岡田長官の二・五ヶ月である。定で、しかも短期で、寒地住宅政策という長期の息の長い行政を必要とするテーマをこなすのは無理であろそして歴代長官も、それを見逃す筈はないと考えた岩村初代長官就任は明治十九年一月二十六日だが、いくら優秀な人材としても、なにぶんにも任期不安689第1節 戦後の住宅政策のはじまり  伐    

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