察本部、一九六八年)によれば、進駐以来一九四六(昭和二一)年四月までに、進駐軍兵士の不法行為が強盗、窃盗、強姦、殺人等合わせて五〇二件、進駐軍に対する日本人の不法行為が窃盗を中心に殺人一件を含め二七八件確認されている。した内容の一部である。事故当時は、進駐軍兵士の不法行為は公にされることが少なく、改めて全国調達庁職員労働組合が一九五八年に再調査した結果、明らかになったものである。進駐軍やそれに従う行政の不誠実な対応に強い怒りをもっていたことが分かる。この再調査の資料集では、北海道の一九の事例が紹介されているが、実際にははるかに多いことが『新恵庭市史』(恵庭市、二〇二二年)で指摘されている。一方、資料13は、一九四五年一二月一九日に三人の少年が起こした進駐軍憲兵の殺人事件を報道した新聞記事である。報道されたのが一二月三〇日、札幌市の軍事法廷で主犯の絞首刑、及び二人の強制労働三〇年の判決が確定したのが翌四六年一月二三日、巣鴨プリズンでの絞首刑執行が五月一七日で、進駐軍による処分の早さと重さが印象的である。資料12は、進駐軍兵士が起こした日本人に対するトラックによる死亡事故について、遺族が調査依頼に応えて回答資料12と資料13から戦勝国と敗戦国の立場の違いが浮かび上がる。55解 説
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