〔五〇年を振り返って―その前半を回想する―㈳北海道建築士会顧問 佐藤隆次〕燃えない寒地住宅先ず熊谷〔(兼雄、道建築部長〕さんのときですが、就任の翌年にあたる昭和二五年に「燃えない寒地住宅展」を開催しています。旧札幌学芸大学の南側にあったサッポロビールのホップ園の一画を借りて、コンクリートブ建築部から住宅都市部への歩み編者注)建築・住宅都市行政50周年記念事業実行委員会『建築・住宅都市行政50年の歩みそして21世紀へ』一九九九年三月ロック、赤煉瓦など外壁不燃材の戸建住宅を試験的に十数棟建てたのです。それに石山通りの九条と四条に建てた札幌市営住宅で、当時としては珍しい耐火構造のアパートを加えて市民にアピールしたわけです。何といっても住宅の不燃化は、当時全国的な命題でした。本道としては全道的に分布する火山礫砂を骨材としたコンクリートブロックの活用に着目し、昭和二七年に道立ブロック建築指導所を琴似に設置したのです。所長には熊谷部長と東大同期で建設省建築研究所におられ、ブロック構造の研究開発の第一人者と目された浅野新一氏を招聘しました。そして最初の所員には当時建築部各課の若手で有望視された遠藤明久、許士武敏、桜井外治、浮田富雄さんなどが配属されたのをみても、力の入れようが窺えるでしょう。そのほか服部喜策、真木光哉、森下政志などの諸君が前後して入所しています。そのころトピックスの第一といえば、やはり他の都府県に類例のない北海道防寒住宅建設等促進法(「寒住寒住法や岩内大火 生 第四節 住宅都市部と郊外型大団地の誕道立寒地建築研究所設立と住宅都市部誕生704第1部 社会・文化 第11章 食文化・住文化【住文化】(1) 15
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