戦を迎え再始動する。全国を見ても、行動美術協会の創立、日本美術展覧会(日展)第一回展など、美術団体の再編、新設が始まっている。北海道でも既存の北海道美術協会(道展)に続き、一九四五(昭和二〇)年、北海道新聞社の発案のもと、美術家が集って全道展が結成、翌年には第一回展が開かれている。その際、戦時中道内に疎開していた美術家との連携を図り、彼らが北海道を離れた後も会員として残った。そうしたことへの非難が既に起こっていたことが伺える。でも、炭鉱町の美術運動は、戦後石炭の緊急増産政策が取られる中、労働組合主体の文化活動を基に発達、北海道の炭鉱を横断する「炭鉱絵画展」が開催された。夕張、赤平など石狩炭田の炭鉱を中心に、一六炭鉱から四八名が参加しており、また、僅かではあるが女性とおぼしき参加者が見受けられる。資料1は、全道美術協会(全道展)第三回展出品目録の編集後記である。戦争によって中断された美術活動も、終資料2は、第九回炭鉱絵画展出品目録である。美術界の復興は都市部だけではなく、地方へと普及していく。なか説 全道美術協会の設立炭鉱町と美術解 【美術】第一節 戦後の復興715解 説(2) (1)
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