四年間にかけての初期の活動をまとめたものである。Sストにより実行委員会として、北海道で初めて文化庁の助成を受けて発足、二〇〇四年七月にはNPO法人化された。設立当初の四年間で、一五カ国二六名のアーティストを招へいした。北海道の文学が「北海道文学」たることは可能か。實と吉柳元彦か。この雑誌にはのちに、佐藤喜一、木野工、高野斗志美らが加わる。ここには、敗戦直後特有の不安や意欲、熱情が表出されている。北海道という「地方」で文学することの意味が問われているのである。増井廉と、経済的にも『札幌文学』を支えていく西田喜代治が名を連ねる波瀾含みの出発であった。この雑誌には、のちに澤田誠一が加わり、『北方文芸』と並んで、北海道の文学運動を牽引していくことになる。『札幌文学』には、橋崎政、八重樫実、吉田十四雄、中沢茂、小野規矩夫、上西晴治、髙橋揆一郎、原田康子、小檜山博などが足跡を残す。とがき」である。かつて高見順、尾崎士郎、坂口安吾ら多数の中央の文人に寄稿させ、独自の光を放った総合文化誌『談論』を編集した小松宏光は「狭い日本のその片隅で」「自惚れ」ていると『札幌文学』を皮肉った。増井廉は、の資料12は、吉柳元彦、堀井更生ら北海道新聞旭川支社の仲間が発行した同人誌の「編輯後記」である。執筆は鈴木資料13は、『札幌文学』創刊号の「あとがき」である。誌名は「北海道全体の象徴」とうたうが、すぐに飛び出す資料14は、目指す路線の違いから『札幌文学』とたもとを分かった増井廉、和田昶らが創刊した『裸人群』の「あAIRは、一九九九年に札幌市内の美術関係者、アーティ【文学】第一節 戦後の出発719解 説 -
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