編者注)〔(札幌市での町内会の呼称〕の石炭獲得は明らかに自主我々は終戦後十五ヶ月の間に、云はず語らずで教へられたこと、その経験を生かそうではないか。我々は米が無かつた時もどうにか餓死せずにやりぬけた。石炭もその意気でやらう。石炭が来ないなら山の枯木を背負ひ給へ。徒に炭山を白眼視することなく自主独立の意気を見せよ。うまくやれるか?と疑問の眼で見られながら隣組坑夫として炭山に出向き多大の成功をもたらした桑園公区独立の意気を示した。炭山に於てもこの種の援助を待つてゐるのだ。行け炭山に、そして今年の冬をあたゝかく過さう。道庁とか市とか公区などの何々対策本部などといつたものが協議やら要請やら決議やら陳情などを何度もやつて温くなると掛声ばかりかけても、山はもう四、五丈の積雪、札幌の根雪も間近と思はれるが石炭は一向来ない。ぐづ一番確実な方法は自分で必要なだけ自分で掘つてくることだと早いとこ見切りをつけて去る二十七日札幌市を出発、現地芦別の炭礦で敢闘して来た桑園聯合公区の人たちは今その苦労が報ひられて、どこの家にもピカ〱の石炭の山が積まれ温いストーヴの傍で温くほてつた頬が崩れる。議論よりも実行を地で行つたよい例であり、頼るべからざるものを頼ることの愚を訓えたよい例でもある。桑園勤報隊出隊の提案者伊藤さん(北大教授)は語る。産業再建即国家再建の原動力として今ほど石炭が重要な時はない。われことは此の際出来るだけ遠慮しなければと思ひ、家庭用炭は自分の手で獲得することを提唱した。幸ひ協力を得られた結果この公区の各家庭には続々石炭が配給された、奇特な一部の人のこの行為は真に隣組精神を発揮したものといえよう。市から桑園公区への配給もそれだけ他の公区へ廻されることを考えると、隣人愛は全市に及ぶわしてゐたら本当に凍えてしまふ。はこの大切な石炭を私の用にする59第2節 自力での物資調達と配給・供出 〱 〱
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