〈一九八一、八四、八七年〉一九八一年、第一回のサッポロ・トリエンナーレは、フィンランド現代作家一〇名を招待して開催された。ここではフィンランド側作家が、全般に構成主義的傾向に統一され、風土あるいは自然観照に通底するゆったりした規則性に支えられていたせいか、北海道側作家の表現形式の多様さが浮かび上がり、見方によっては、その背サッポロトリエンナーレ開催TRIENNALE』一九九〇年景に現代美術に関する大量の情報量が感じされ、氾濫する美術潮流のエピゴーネン〔(模倣〕に流されまいという姿勢が目立った。そしてこの国際展は、この一点を浮揚させただけでも目的を果たしたといっていい。北海道という地域性のとらえ方がいかに観念的であったか、日本における地域性がここまでどっぷりと対東京によって成立していたかを、知らしめたからである。あるいは日本の美術状況がいかに解放的であり、国民性を漉し流していたかを理解させたからである。また個人の創造活動の必然性の問題でいえば、同質と思われた精神的風土を持つ作家たちの表現形式が、実に異質の表現意識によって支えられていたことを知ることは、この国際展企画の根にある目的であったといえるからである。そして三年経った。一九八四年、サッポロ・トリエンナーレ第二回展は、アメリカ、カナダ、韓国、そして前回も参加したフィンランドの四ヶ国から一一名が出品した。TODAYは、第二回展についての参加者の勧誘は、〈中略〉編者注)第三節 現代美術展の国際化開催の経緯と三度の展覧会TODAY『ARTTODAY・SAPPORO〔二一世紀の友へ ― 介〕TODAYをめぐる現在からの報告吉田豪第3節 現代美術展の国際化737(1) 10
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