北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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すべて個人を対象にしておこなうことを決め、この三年間をその選考と交渉にあてた。一一名それぞれの交渉は、実に個別的で運命的でもあるが、その可能性を読み、それを実行できたことは、組織としての意志が強固に持続していることを裏付けている。一九八一年「二〇世紀カナダ絵画展」が、八三年「韓国現代美術展」が、それぞれ道立近代美術館で巡回展を開催したことも有利な出会いといえたが、TODAYのメンバーが外国との窓口を持っていたこと、一回展だけで、早くもパウル・オシポーという外国人の協力作家が出来たことなど、この組織が着々と国際的マニュアルとルートを獲得していったことを示している。こうして第二回展は、参加作家の層を厚くし、表現様式と傾向の間口を広げ、どこか骨太で堂々とした気分をみなぎらせて終了した。第三回展は、一九八七年に予定どおり開催された。個人対個人の選考と交渉は、二回展のマニュアルと同様に進められ、カナダ、フィンランド、韓国、スウェーデン、〈中略〉アメリカ、西ドイツと六ヶ国、一三名に増えたが、TODAY側は、はじめて田村宏、田村佳津子、矢崎勝美の三名の退会者を出した。理由は憶測を出ないから、ここでふれることはあるまい。そして展覧会は、必ずしも国民性といったレジュメは明かされなかったが、現代美術のいまを語る刺激的なものとなった。ミニマリズムの傾向は減少し、手仕事の復権が顕著で、とくに西欧側の作家では、ニュー・ペインティングやアクションティングの力強くかつ緻密な作品に特色があり、アジア側作家では、木や紙や鉄の素材に語らせたり、ドローイングの過程の息づかいを見せる作品が多く、そのコントラストを興味深く見ることができた。ヨーランユハナ・ブロムステッド ヨルママッティ・クヤサロ 〈中略〉アウグスッソン ハウタラ ペインJuhana BomstedtKujasalo〔〕• l• •GöranAugustsonJorma HautalaMatti ART TODAY SAPPORO TRIENNALE 1981第1部 社会・文化 第12章 美術・文学【美術】738

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