北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
761/1232

編輯後記僕達は謂ふところの無名作家の集りである。僕達は三十の齢になつてゐない。僕達はその日の食におはれつつ働いてゐる。その僕達が深い経験もなく、多くの資力もなく、この     と云ふ人があるかも知れぬ。けれど「冬濤」の誕生は僕雑誌を出すのだから、無暴とか、一時の情熱に駈られて、達仲間に期せずして醸成された時代錯誤への悲哀であり、歪められた文学の真への探究の産声なのである。古きもの恒に悪しとは云へない。が、新しきもの必ず浄く良し冬濤編輯所『冬濤』創刊号一九四六年三月とも云はれない。いつの時代にも自由の限定された世界に、大いなる光は投げられてはゐない。僕達は既成作家でなくとも文学を愛する点生命を天秤にしてゐる、「冬濤」はかうした僕達の若き世代の血肉から生れた。「冬濤」がホツカイドウの岸辺から五ツの海の沿岸を澣ふ日の夢を僕達の熱意と、冬濤の健康と、一切合切の苦悩とによつて現実のものにしやうと思ふ。岩船さんに表紙を戴いて、外観は整つたがさて中味である。「低い鼻をしてゐながら、ぼくの鼻はほんとはもつと高くて立派なんだ」とそんなことを云ふのではないが、この雑誌の中に見られる未熟さはやがて克服出来ると思ふし、むしろ未完成であることがぼくたちには頼みなのである。の希ふ場所はそこだ。地方文学の陥りやすい穴が、愚蒙な完成といふところにあると気づいた故の以上の想ひである。聡カ、以下同)総(明な未完成といふ、そんなものがあれば、ぼくたち【鈴木】  【文学】第一節 戦後の出発不安と熱情第1節 戦後の出発74512 

元のページ  ../index.html#761

このブックを見る